八木義徳
八木 義徳/1911年-1999年/小説家
1911年10月21日生まれ、北海道室蘭町(現・室蘭市)出身。
地元の病院長の父と芸妓の母の婚外子として生まれる。海に係わる仕事を志し北海道帝国大学(現・北海道大学)に進学するも、左翼思想に共鳴して自主退学し、東京へ。早稲田大学第二高等学院在学中の1934年、多田裕計らと同人誌「黙示」を創刊。この頃初めて横光利一を訪問し、以後師事した。早稲田大学文学科仏蘭西文学専攻に進学後、「海豹」を「早稲田文学」に発表。出征直前に遺作のつもりで書いた「劉廣福」で1944年、第19回芥川龍之介賞を受賞。復員後、東京大空襲による妻子の死を知り執筆した『母子鎮魂』で作家としての地位を確立。1977年に『風祭』で第28回読売文学賞、1988年に第44回日本芸術院賞恩賜賞、1990年に『八木義徳全集』で第38回菊池寛賞を受賞。室蘭市名誉市民。1999年11月9日、肺炎のため88年の生涯を閉じた。
「義徳」注記:「徳」は旧字体
主な作品
- 『母子鎮魂』(1948、世界社)
- 『私のソーニャ』(1949、文芸春秋新社)
- 『私の文学』(1971、北苑社)
- 『風祭』(1976、河出書房新社)
- 『遠い地平』(1983、新潮社)
資料写真
覚書(昭和19年)
遺品と「宿敵」原稿
居住期間
1969年から亡くなるまでの30年間、山崎町に居住した。
町田との関わり
「町田ペンの会」会員、青芝友の会「竹の子句会」に参加した。
エッセイ「団地暮らし」で町田の団地での生活を綴った。
おなじ階段を昇り降りする十世帯がこのありさまだから、ほかの階段の住人はむろんのこと、まして棟がちがえば論外ということになる。まわり近所が、文字通り“アカの他人”なのだ。
そんなことは団地生活の常識で、いまさらことあたらしく言い立てるのはおかしいじゃないか、といわれるかもしれない。けれども私にとっては、まわり近所がみな“アカの他人”だというのは、これがはじめての経験なのだ。
――――――――「団地暮らし」より
当館との関わり
- 展覧会
- 開館記念展 ことばの森の住人たち―町田ゆかりの文学者展
会期:2006年10月27日から2007年3月4日 - 市制50周年記念特別企画展 文学の鬼を志望す―八木義徳
2008年10月18日から12月14日 - 世界の果てで生き延びろ―芥川賞作家・八木義徳展―
2019年1月19日から3月17日 - 刊行物
- 2006年度展覧会図録『ことばの森の住人たち―町田ゆかりの文学者』
(2006年96ページ、有料販売) - 2008年度展覧会図録『文学の鬼を志望す―八木義徳展』
(2008年88ページ、有料販売) - 2018年度展覧会関連リーフレット『世界の果てで生き延びろ―芥川賞作家・八木義徳展―』
(2019年31ページ、無料配布) - 文庫
- 八木義徳文庫(旧蔵書)
関連リンク
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