小山田与清
小山田 与清/1783年-1847年/国学者(和学考証家)
1783年生まれ、武蔵国多摩郡上小山田村(現・東京都町田市上小山田町)出身。
19歳の頃に江戸に出て国学者・村田春海に入門、漢学を古屋昔陽に学ぶ。その後、見沼通船方を務めた豪商・高田家の養子となり、家業のかたわら国学者としても活躍した。1828(文政11)年、高田姓を離れ小山田を称する。1832(天保3)年には、水戸藩・徳川斉昭に招かれ『八洲文藻』の編纂に参加し、蔵書2万数千冊を献納した。辞世の句は「崩るべき時は至りぬ築きなせし学びの山も文も林も」「知るやいかに満つるは欠くるるはなしなくても足れるうきせなりとは」。平田篤胤、伴信友と共に幕末の国学三大家と称され、著作には小山田の考証が記された『松屋棟梁集』(1816年刊)、生家を拠点として津久井地域に来遊した折の旅日記『筑井紀行』のほか、「松屋筆記」「擁書漫筆」など紀行・考証随筆が300点余りある。
資料写真
「十六夜日記残月抄」
「相馬日記」
当館との関わり
- 展覧会
- 開館記念展 ことばの森の住人たち―町田ゆかりの文学者展
会期:2006年10月27日から2007年3月4日 - 刊行物
- 2006年度展覧会図録『ことばの森の住人たち―町田ゆかりの文学者』
(2006年96ページ、有料販売) - 『翻刻 筑井紀行』
(町田市立図書館発行、2002年64ページ、有料販売)
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