薄井清

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更新日:2021年5月17日

薄井 清/1930年-2007年/小説家

1930年2月17日生まれ、南多摩郡忠生村大字下小山田(現・東京都町田市下小山田町)出身。
養蚕農家の長男として生まれる。1949年日本獣医畜産専門学校(現・日本獣医生命科学大学)卒業後、東京都農業改良普及委員となり、南多摩第四地区(現・町田市)で農家の技術指導に当たった。1955年から「農民文学」に小説を発表し、翌年「農民文学」第6号に発表した「燃焼」で第1回農民文学賞を受賞。1960年代末から1970年代にかけて、都市農業が直面する課題や農政の矛盾をモチーフとした多くの小説・評論を刊行した。1981年には小説『権兵衛の生涯』で第28回地上文学賞を受賞。1972年に東京都を退職した後は農業と執筆活動を行いながら町田市企画部嘱託に就任。その後、農水省大学校、和光大学、鶴川学園農村伝導神学校で講師を務めた。2004年、東京都文化功労者表彰受賞。農民の古い意識の殻を打ち破るような文学を目指し農民文学に生涯を捧げ、2007年7月27日、多発性骨髄腫のため77年の生涯を閉じた。

主な作品

主な作品の画像

  1. 『燃焼』(1957、筑土書房)
  2. 『都が土を狂わせる』(ルポルタージュ)(1970、家の光協会)
  3. 『証言・農の軌跡』(1975、家の光協会)
  4. 『緑の中はエロスがいっぱい』(随筆)(1998、風濤社)
  5. 『薄井清短編小説集 稲刈りに来た女』(2001、町田ジャーナル社)

資料写真

居住期間

生涯にわたって町田に暮らした。

町田との関わり

町田市の農業委員や文化財保護審議会委員、町田地方史研究会副会長を長く務めた。

短編小説「稲刈りに来た女」には下記のような描写がある。

たまたまその年は、春がくるのがおそかった。薬師池のまわりのどぶっ田では、籾をふる季節になっても、鶴の群れが居据わっていた。/年が明けてまもなく、代官所と鷹場役所から、触書が届いた。『二月八日より三日間、小野路村、野津田村、木曽村、図師村、山崎村において鷹場衆一行による試し狩りを行う。準備万端を整えて遺漏なきよう計ること…』

――――――――「稲刈りに来た女」より

当館との関わり

当館設立に際して、町田市役所文学館構想に関する提言委員会委員、開設準備懇談会副委員長として尽力していただいた。

注記:掲載している情報につきましては極力調査いたしましたが、お気づきの点がございましたらご連絡ください。

このページの担当課へのお問い合わせ
町田市民文学館ことばらんど

電話:042-739-3420

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