白洲正子
白洲 正子/1910年-1998年/随筆家
1910年1月7日生まれ、東京府東京市麹町区永田町(現・東京都千代田区永田町)出身。
父方の祖父・樺山資紀は薩摩出身の軍人・政治家で、伯爵の称号を持つ。正子は幼少から梅若流の能に親しみ、14歳で女性として初めて能舞台に立った。その後、アメリカに留学、帰国後の1929年に実業家の白洲次郎と結婚。戦後は志賀直哉、小林秀雄、青山二郎、河上徹太郎らとの交友を深める一方、古典文学や骨董に対する知識を養った。銀座に染物工芸の店「こうげい」を営み、鶴川の自宅「武相荘」から毎日通っていた。青山に「韋駄天お正」と命名されるほどの行動派で、執筆に際しても自分の目で見、足を運ぶ姿勢を貫き、日本文化に表れた美の世界を類まれな感性と独自の視点で捉え直して数多くの随筆を残した。1964年に『能面』で第15回読売文学賞(研究・翻訳部門)、1972年に『かくれ里』で第24回読売文学賞(随筆・紀行部門)、1991年に第7回東京都文化賞を受賞。1998年12月26日、肺炎のため88年の生涯を閉じた。
主な作品
- 『能面』(1964、求龍堂)
- 『かくれ里』(1971、新潮社)
- 『西国巡礼』(1974、駸々堂)
- 『鶴川日記』(1979、文化出版局)
- 『西行』(1988、限定30部著者私家版)
資料写真
「春の香り」原稿
色紙「ませに咲く」
居住期間
1943年に戦火を逃れて鶴川村能ヶ谷(現・町田市能ヶ谷)に転入、亡くなるまで居住した。
町田との関わり
1998年に町田市名誉市民として表彰された。
「武相荘」と名付けられた旧居は、記念館・資料館として一般公開され、2002年には町田市指定史跡に認定された。
『鶴川日記』では、引っ越してきたころのことを以下のように回想している。
私どもが鶴川に住んで三十六、七年になる。現在は町田市に編入され、大きな団地などが建っているが、当時は南多摩郡のささやかな寒村にすぎなかった。そのころ、東京では食料が不足しはじめ、鶴川に知人がいたので、お米や野菜を買い出しに行っていた。この辺は多摩丘陵の一部なので、山や谷が多く、雑木林では炭を焼き、山あいには田圃がひらけて、秋は柿と栗がたくさんとれる。買い出しに行って、夕方遅く田圃道を歩いていると、蛍が顔にぶつかるほど飛んでいて、草葉にすだく虫の声がかまびすしい。こんな所に住んだらさぞかし命がのびるだろうとそのたびごとに羨ましく思っていた。
――――――――『鶴川日記』より
当館との関わり
- 展覧会
- 開館記念展 ことばの森の住人たち―町田ゆかりの文学者展
会期:2006年10月27日から2007年3月4日 - ことばの森の住人たち―町田ゆかりの文学者展
会期:2010年1月31日から3月28日 - 生誕100年 随筆家・白洲正子 ―あざやかなる生の軌跡展
会期:2010年11月3日から12月19日 - 白洲正子のライフスタイル―暮らしの遊び展
会期:2019年10月19日から12月22日 - 刊行物
- 2006年度展覧会図録『ことばの森の住人たち―町田ゆかりの文学者』
(2006年96ページ、有料販売) - 展覧会図録『随筆家・白洲正子-あざやかなる生の軌跡』
(2010年32ページ、有料販売) - 展覧会図録『白洲正子のライフスタイル-暮らしの遊び展』
(2019年6ページ、有料販売) - 文学散歩マップ「白洲正子が歩いた三輪」
(2010年、無料配布) - 文学散歩マップ「白洲正子が歩いた「東京の坂道」」
(2010年、無料配布)
注記:掲載している情報につきましては極力調査いたしましたが、お気づきの点がございましたらご連絡ください。
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