上田周二
上田 周二/1926年-2011年/作家・詩人
1926年2月1日生まれ、東京市下谷区(現・東京都台東区)出身。
本名・上田修司。鍍金業を営む家の次男として生まれる。専修商業学校(現・東京都立府中高等学校)在学中に小説を書き始め、校友会誌文芸欄に寄稿。1946年に中央大学商学部に進学するが、座間や相模原のアメリカ駐留軍施設でクラークとして働き始め、大学は退学する。その後、慶應義塾大学文学部英文科に入り西脇順三郎からD.H.ロレンスの講義を受ける。1950年に卒業。同年、東京都立町田高等学校の英語科教師となり定時制に勤務。同校事務室にいた詩人・乾直惠の知遇を得て文学に傾倒した。「半世界」同人、「時間と空間」主宰。都立明正高校定時制教頭など教職の傍ら、小説・評論・エッセイなどを同人誌に寄稿した。晩年は、ライフワークとして竹久夢二研究に没入。2011年1月29日、急性腹症のため84年の生涯を閉じた。息を引きとるその日まで、作家としての情熱と意欲を失わなかった。
主な作品
- 『闇の扉』(1957、私家版)
- 『闇・女』(1975、文京書房)
- 『詩人 乾直惠―詩と青春』(伝記)(1982、潮流社)
- 『深夜のビルディング』(1985、沖積舎)
- 『私の竹久夢二』(随筆)(1999、沖積舎)
資料写真
原稿「八木義徳の文学」
居住期間
1955年に結婚を機に本町田に転居し、亡くなるまでの55年間を過ごした。
町田との関わり
東京都立町田高等学校の英語科教師を務める。
八木義徳、野田宇太郎、八幡城太郎など多くの町田ゆかりの文学者と交流。「青芝」への寄稿、「町田ペンの会」の3代目会長を1986年11月から1992年11月まで務めるなど、町田の文化的発展に貢献した。
創刊号から発行人を務めた同人誌「時間と空間」に、当館の開館記念展を観覧した際のエッセイを記している。
わが住む町、町田市に待望の町田市民文学館ことばらんどが開館したのは、平成十八年(二〇〇六年)十月二十七日で、その開館記念展は、「ことばの森の住人たち―町田ゆかりの文学者」であった。物故者ばかりであったが、そのなかに在世中私も親しく接した作家八木義徳、詩人乾直恵、野田宇太郎、俳人八幡城太郎の名もあり、肖像写真入りで大きく展示・紹介されていた。文学館については、創設の話が出はじめた頃から、後に館長になったМ氏から内々相談を受け、多少の協力もしてきたから、その開館はこれまでになく嬉しく、知人に紹介し、特にゆかり文学者の展示は、自分でもおかしいくらい何度か会場を訪れた。
――――――――「月の砂漠」より
当館との関わり
町田市文学館構想に関する提言委員会委員を務めていただいた。
- 展覧会
- 詩人・上田周二氏追悼展示コーナー(1階文学サロンミニ展示)
会期:2011年3月1日から3月27日
注記:掲載している情報につきましては極力調査いたしましたが、お気づきの点がございましたらご連絡ください。
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