多田茂治

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更新日:2021年5月17日

多田ただ 茂治しげはる/1928年-2020年/評論家

1928年3月27日生まれ、福岡県小郡市出身。
旧制福岡高等学校在学中から小説を書き始め、九州大学経済学部在学中に「九州文学」「新日本文学会」などの同人誌に作品を発表。新聞記者を経て編集者、フリーライターとなる。1979年に、町田ゆかりの明治の民権家・石阪昌考や細野喜代四郎などを描いた小説集『多摩困民記』を刊行。新聞記者時代に夢野久作の三男・杉山参録と知り合ってから夢野に関心を持ち、1997年に『夢野一族』を上梓。2004年には『夢野久作読本』で第57回日本推作家協会賞(評論その他の部門)を受賞。綿密な調査と取材に基づく優れたノンフィクションや伝記を発表した。2020年5月3日、老衰のため92年の生涯を閉じた。

主な作品

主な作品の画像

  1. 『多摩困民記』(1979、創樹舎)
  2. 『内なるシベリヤ抑留体験』(1994、社会思想社)
  3. 『夢野一族』(1997、三一書房)
  4. 『夢野久作読本』(2003、弦書房)
  5. 『野十郎の炎』(2006、弦書房)

資料写真

居住期間

『多摩困民記』の取材に訪れたことがきっかけで、1983年に転入。亡くなるまで原町田に暮らした。

町田との関わり

小説「流民の墓」は町田ゆかりの民権家・石阪昌孝や五日市憲法の千葉卓三郎らの生涯に想を得ている。

「このお近くですか」と訊いてみた。
「ええ、近くのコンクリートの団地に住んでるんですよ。おたくは?」
私が、旧北多摩郡になるが、やはりコンクリートの団地に住んでいると答えると、相手は一段と親しみをこめた笑顔をみせた。
「そうですか。じゃあ、お互い、現代の流民つうわけですなあ」
現代の流民。私はその言葉になんの抵抗も感じなかった。九州の家郷を離れ、東京で根なし草の生活を送っている私は、まさに現代の流民である。流民と己れを意識すればこそ、明治の流民となった石阪公歴や北村透谷ゆかりのこの豪農民権家の屋敷跡に魅かれて、何度も訪ねていた。

「それにしても」と男は屋敷跡を見廻すようにして言った。「きれいさっぱり跡形もなくなったもんですな。明治の青春の夢のあと、つう感じですな」
「ほんとにそうですね」と私は相槌を打った。

――――――――「流民の墓」より

当館との関わり

町田市文学館構想に関する提言委員会委員、町田市文学館開設準備懇談会委員、2011年から2013年の町田市民文学館運営協議会会長を務めていただいた。

  • 展覧会
  • まちだ作家博覧会展
    会期:2009年4月25日から7月5日

注記:掲載している情報につきましては極力調査いたしましたが、お気づきの点がございましたらご連絡ください。

このページの担当課へのお問い合わせ
町田市民文学館ことばらんど

電話:042-739-3420

ファックス:042-739-3421

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