桜田常久
桜田 常久/1897年-1980年/小説家
1897年1月20日生まれ、大阪府大阪市出身。
ペンネームとして三好三十郎、桜宗太郎、並木宋之介などがあるが、共に東京帝国大学で学んだ川端康成(桜田は独逸文学科で一学年上。川端は国文学科。)の勧めもあり、芥川龍之介賞受賞のころから本名で作品を発表するようになる。 東京帝国大学独逸文学科在学中から、同人誌に小説や戯曲を発表。卒業後は日本大学予科等でドイツ文学や演劇学などを教え、ドイツ戯曲の翻訳も手がけた。1941年に「平賀源内」で第12回芥川龍之介賞、「従軍タイピスト」で第1回野間文芸奨励賞を受賞。戦後は農地改革に尽力し、町田町農地委員会会長、農協組合長、町議会議員などを務めた。1947年には戦後第1回の町長選挙に社会党から出馬するも惜敗。後年、この時の経験をもとに「おいらの町の留置場」などを発表した。民衆運動史に深い関心を寄せ、時代の転換期に生きた人物たちを描いた伝記小説には、不合理な身分制の下で特権階級を支えた民衆への共感があふれている。1980年3月25日、気管支炎肺炎のため83年の生涯を閉じた。
主な作品
- 『従軍タイピスト』(1941、赤門書房)
- 『平賀源内』(1941、文藝春秋社)
- 『安藤昌益』(1969、東邦出版社)
- 『画狂人北斎』上巻(1971、東邦出版社)
- 『山上憶良』(1974、東邦出版社)
資料写真
農事日記(1945年)
「画狂人北斎」執筆メモ
居住期間
1931年に半農生活を志し、町田町本町田(現・町田市本町田)に転入、亡くなるまで暮らした。書斎を「万木草堂」と称し、執筆を行った。
町田との関わり
農地委員会会長や町田町議会議員などを務めた。
1978年「だんち」に連載されたエッセイ「町田市今は昔」で家の前の山葵田について以下のように書いている。
ぼくの書斎の前は、谷戸田であり、その向うに、二の窪、三の窪と呼ばれていた山葵田がありましたので、ぼくは、いつのまにか、その山葵田の番人のような立場におかれてしまいました。山葵田を睨んで、ものを書いているぼくにたいするお礼は、一年に一度、山葵の葉茎を貰うことでした。
さっと熱湯をくぐらせて、適当に切り、それを二はい酢で食べてごらんなさい。酒のさかなとしては、“こてえられねえ、うめえもの”ですよ。
――――――――「山葵田(1)」より
当館との関わり
- 展覧会
- 開館記念展 ことばの森の住人たち―町田ゆかりの文学者展
会期:2006年10月27日から2007年3月4日 - 没後30年 芥川賞作家 桜田常久展 ―町田の戦中・戦後を生きて―
会期:2011年1月22日から3月27日 - ことばらんどお宝紹介第10弾 没後40年 桜田常久展(1階文学サロンミニ展示)
会期:2019年10月1日から27日 - 刊行物
- 2006年度展覧会図録『ことばの森の住人たち―町田ゆかりの文学者』
(2006年、96ページ、有料販売) - 文庫
- 桜田常久文庫(旧蔵書)
関連リンク
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