高垣葵

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更新日:2021年5月17日

高垣たかがき まもる/1928年-2015年/脚本家

1928年11月10日生まれ、東京都青梅市出身。

本名・克。父は「快傑黒頭巾」「竜神丸」「まぼろし城」などで知られる作家の高垣眸。

北海道大学文学部国文科在学中に、NHK札幌放送劇団の1期生として入団。声優・シナリオ作家として活動をはじめ、北大卒業後も一年間は声優の仕事をしていた。その後帰京し、日本大学第二高等学校の国語教師となる。1953年「底流」がNHKの懸賞ドラマに当選。同年の文部省主催芸術祭においてNHK放送劇「底流」の演技にて加藤幸子が、効果にて江口高男が芸術祭奨励賞を受賞。「底流」をきっかけに高垣は売れっ子作家になっていき、民間放送草創期のラジオ・テレビの脚本、舞台の脚本を数多く手掛けた。その作品数は1万作にのぼるともいわれる。1968年に休筆を宣言、連続物の終了を待った。1971年海外取材に出発し、半年後に帰国。1973年「劇団ノルテ」を旗揚げ。「町田ひなた村劇団」など同時に6つの劇団を主宰した。また、自動車が趣味で自動車デザイナー・太田祐一が手がけた世界に一台の車「アルファ―1500スポーツクーペ」を所有していたことでも知られる。2015年10月1日、心不全により86年の生涯を閉じた。


主な作品

  1. 『怪童流れ星』(1949、ポプラ社)
  2. 『宇宙少年』原作者・高垣葵、画・小坂靖博(1958、トモブック社)
  3. 『空中都市008』絵・虫プロ、文・高垣葵、原作・小松左京(1969、ます美書房)

資料写真

  1. 脚本「一丁目一番地」(1957、NHK放送)
  2. 脚本「ホームラン教室」(1959、NHK放送)
  3. 脚本「夕焼け天使」(1960、株式会社ラジオ東京)

居住期間

1973年頃から小山町に居住した。

町田との関わり

1973年から1994年まで、桜美林高等学校の国語講師をしていた。2003年より町田ペンの会会員。

「町田ペンの会会報」第105号(2003年10月)で以下のように述べている。

夜中に、TV局やラジオ局に原稿を届けにいったりする時は、東名高速を通りながら

(町田って、なんて遠いんだ!!)

そう思ったが、それも、一、二年すると、当り前になってしまった。

不思議なもので、そうした歴史のレールを走ると「町田」が他人でなくなってくる。

町田はわが町……という感覚がジワジワ湧いてくる。

正直に言うと、越してきたばかりの時は、なにか、町全体が雑駁で、情感がない……と思っていた。古い歴史がなくもないのに、なぜか、フィーリングが殺伐としている。

ところがだ。

町のあちこちを知ると、(例えば、薬師池の池畔)(或いは大地沢の樹海の深み)

(あれ?町田には、こんな自然が存在するのか!!)

桜の季節、仔犬を連れて、尾根緑道を散策すると、その圧倒的な、桜吹雪に感動させられたりもして。

――――――――「町田、私にとって……」より

当館との関わり

ラジオドラマの台本などをご寄贈いただいた。


  • 文庫
    高垣葵台本

町田市立図書館システム登録外資料

関連リンク

高垣葵資料目録(台本)

注記:掲載している情報につきましては極力調査いたしましたが、お気づきの点がございましたらご連絡ください。

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