町田市で発生した米軍機墜落事故について
1964年4月5日、町田市内で米軍機が墜落し、死者4名・重軽傷者32名を出す大惨事が発生しました。
被害の概要(米軍機墜落事故災害誌から抜粋)
(米軍機墜落事故災害誌から抜粋)
町田市の中心部繁華街の真っ只中に、昭和39年4月5日午後4時28分頃、米軍航空機が墜落し大惨事が発生した。
国鉄横浜線原町田駅から約300メートル、小田急線新原町田駅から約1キロメートル離れた原町田1274番地に、この日午後、沖縄の嘉手納(かでな)航空基地を飛び立ったアメリカ海兵隊岩国基地所属チャンスボートF8U-2「クルセイダー」ジェット戦闘機(乗員R・L・ボーン海軍大尉)が定期訓練飛行のため厚木基地(厚木基地まで約10キロメートル、基地滑走路と一直線上)に向かう途中、故障を起こし、高度6000フィートの上空よりきりもみ状態にて墜落、言語に絶する惨状を引き起こした。
4月5日は日曜日、桜の花もようやくちらほら、朝からおだやかな日和で、家族連れや団体客で各地の行楽地はその年最高の人出であった。
町田市の繁華街も近隣近郊から集った子供連れの買物客で混雑していた。午後4時28分頃上空を飛んでいたジェット機が「キーン」という耳をつんざく音とともに突然「ズシーン」という大地をも裂けるような地ひびきをたてて商店街の一角に墜落した。
ものすごい衝撃が原町田2丁目商店街一帯をゆるがせ、一瞬のうちに民家4棟が吹きとび、土砂や機体の破片も半径50メートル四方にわたって襲いかかり、20数軒の家屋を全半壊した。
ジェット機墜落と同時にとび散った航空機の燃料に引火、付近の家屋に延焼し、黒煙は天に沖しものすごく、逃げまどう買物客、倒壊した建物の下から救いを求める負傷者の悲鳴と叫び、付近一帯は阿修羅と化し大混乱となった。
【中略】
平和に暮らしていた市民にとって、この事故は文字どおり空から突如降ってわいた出来事、火を吐く巨大な金属のかたまり、それは一瞬にして、死者4名、重軽傷者32名という惨事を引き起こした。
【後略】
米軍機墜落事故災害誌
町田市では、この事故を風化させないため、「米軍機墜落事故災害誌」を2002年に復刻しました。
この本は、市立図書館で貸出しています。
町田市の要請行動
町田市の空が静かで安全な空であるために、市では、国や米軍に対し、徹底した安全管理及び事故の再発防止や、航空機騒音の解消に向け、要請行動を行っています。
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