市民生活(当時の生活・戦災等)

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更新日:2017年3月3日

空襲が激しくなると、外出や通勤時にも持ち歩きました。


1945年(昭和20年)頃、女の子が使用していました。


モンペは、着物を労働しやすく加工したもので、主に東北地方の女性が用いていましたが、戦争中全国に広まりました。


戦争中の子どもたちは、このような服を着ていました。


1945年(昭和20年)3月9日から10日の東京大空襲で被災したときに、他のお金に溶けてくっついた50銭硬貨(鉄の固まりに見えるもの)です。


高射砲は、飛行機を撃墜するための大砲で砲身が長く、全方向に旋回できる構造です。これはB29迎撃のために、地上から発砲した弾の破片です。空襲時には数多く落下しました。

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