自由民権資料館常設展示「自由民権運動と町田」その1

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更新日:2022年11月2日

「自由と民権をもとめて」(自由民権運動の概要紹介ゾーン)

自由民権運動は、明治政府の専制政治を批判し、国会開設と憲法制定により、国民の権利・自由を保障し、国民の意見を取り入れる仕組みづくりをめざした政治運動でした。その根底には、人は生まれながらに自由平等で幸福をもとめる権利があるという「天賦人権」の思想と、憲法により政治権力は制限されるべきだという「立憲主義」の思想がありました。
明治7(1874)年に板垣退助らが提出した「民撰議院設立建白書」をきっかけに起きた民選議院論争が、自由民権運動のはじまりとされています。明治13(1880)年には、各地から国会開設を求める建白書・請願書が政府へ提出され、翌年にかけて各地で憲法草案がつくられます。政治結社や学習結社も生まれ、演説会や討論会が開かれるとともに、全国政党である自由党・立憲改進党も誕生しました。
人びとが憲法や国会、国や社会のあり方について考え、提案したことは、自由民権運動の大きな意義だったといえるでしょう。

1.自由民権の時代

さまざまな「自由」

自由民権運動が全国的に盛りあがった明治10年代、「自由」はさまざまなモノの名称、デザインやモチーフに用いられ、グッズも商品化されました。「自由」ということばは、自由民権運動を担った民権家だけのものではなく、彼らを介して、そのことばにきつけられた人びとが、さまざまな感じ方でそれを表現したといえます。

自由民権運動とは?

明治10年代、人びとは納税・徴兵・教育などの義務を負う一方で、十分な権利が保障されずにいました。それに対し、国民の自由・権利を憲法で保障する立憲政治の実現をめざしたのが自由民権運動でした。政府には建白書や請願書を出し、人びとには演説や新聞・雑誌で自分たちの考え方を伝えながら運動の拡大をめざしました。

2.憲法と国会をもとめて

国会開設をもとめる

自由民権運動は、国会開設の要求から始まりました。根拠となったのは、「五か条のせいもん」の一つ「ばん公論に決すべし」(すべてを公の議論で決定する)でした。明治7(1874)年には民選議院論争が新聞をにぎわせ、明治13(1880)年には国会期成同盟が組織され、全国各地から国会開設の建白書や請願書が政府に提出されました。

みずから憲法をつくる

国会開設運動が盛り上がるなか、立法府としての国会だけではなく、行政や司法など国のあり方へも関心が広がります。明治13(1880)年10月、国会期成同盟では次の大会までに憲法草案をもちより審議することが決まります。翌年、自分たちの国家構想を反映させた憲法草案が、全国各地の民権家によりつくられました。

「五日市憲法」と千葉卓三郎の世界

千葉卓三郎がつくった憲法草案「日本帝国憲法」は、五日市地方の自由民権運動と密接な関係があったことから「五日市憲法」の通称で知られています。「五日市憲法」には、他の憲法にはない、国民に対して権利・自由の獲得のために努力を求めたり、日本に住む外国人の権利を保障するなど、現憲法と比較しても注目すべき条文があります。

結社・政党の誕生

自由民権運動は、全国各地にできた結社や、結社が集まって組織された政党により展開します。国会開設運動をきっかけに結社間の連携が生まれ、明治14(1881)年10月、板垣退助を総理とする日本初の全国的政党「自由党」が誕生します。翌年には、都市の民権家たちによる「おうめい社」や大隈重信らしたかんりょうらにより、「立憲改進党」も結成されました。

言論でたたかう

自由民権運動が盛り上がった時期は、演説や新聞・雑誌が定着した時代でもありました。演説では、弁士が時には血気盛んな調子で語りかけることで聴衆の心を引きつけました。また新聞や雑誌は、自分たちの思想や主張をていねいに読者に伝えることに適していました。声と文字のメディアが、運動や思想の広がり、深まりをもたらしたのです。

3.自由民権運動がもたらしたもの

大日本帝国憲法と帝国議会

明治22(1889)年2月11日、天皇が国民に授ける形式で「大日本帝国憲法」が発布されました。同日公布の「衆議院議員選挙法」により翌年7月初めての総選挙が行われ、11月から帝国議会が開かれました。憲法の内容は、民権家たちが求めたとおりではありませんでしたが、これにより日本は立憲国家としての道を歩み始めました。

女性の権利も語られ始める

自由民権運動が求めた「民権」は男性がイメージされがちでしたが、同時期に男女同等・男女同権・女権なども論じられ始めます。女性で演説活動・政治運動に目覚める人も登場し、世間の注目を集め、女学生のあこがれにもなりました。しかし、明治23(1890)年公布の「集会及政社法」により、女性の政治参加は禁止されてしまいました。

今につながる政治と文化

自由民権運動がきっかけで世の中に定着したものが、今でも残っています。自由民権運動が求めた自由・権利保障の思想や憲法構想は、「日本国憲法」にも影響を与えたとされています。国会や議員を選ぶ選挙はもちろんのこと、自由民権運動の盛り上がりとともに広まった新聞・雑誌や演説・討論などの文化も、現代社会に根づいています。

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