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ミニ展示「詩人・川田総七 -モダニズム詩の方へ-」(4月1日から6月29日まで)
大正4年(1915)2月3日、川田総七はかつて原町田にあった造り酒屋・川田酒造の長男として生を受けた。彼は17歳で、詩誌「椎の木」(第3次)に詩篇「死の面貌」「雪」「海邊にて」「私の星」等を発表し、詩人として早熟な才能を開花させた。
川田が関心を寄せた昭和初期のモダニズムの影響下に隆盛を見せた現代詩運動は、代表的な詩誌「詩と詩論」(1928年9月創刊)を中心に、主に20代の青年たちによって推進されていた。
川田は長くはない生涯に3冊の詩集を著したが、それらはいずれも1930年代、彼が18歳から22歳の4年間の出版物にあたる。一見簡素にも見える白を基調とした装幀は、フランスの仮表装を意識したデザインで、当時のモダニズム趣味をよく伝えている。
とりわけ最初の詩集『希臘の海』(私家本)は、小型の横長判型(タテ980、ヨコ1260ミリメートル)で表紙にはタイトル「希臘の海」/著者名「川田總七」と、「海」を連想させるブルーの文字で印刷された瀟洒な装幀である。
37歳で結核のため世を去った殆ど無名の詩人・川田総七の足跡を、生誕110年を迎えるにあたり、残されたわずかな資料を手掛かりに紹介する。
会期
2025年4月1日(火曜日)から6月29日(日曜日)
観覧時間
午前9時から午後10時まで
休館日
毎週月曜日(ただし5月5日は開館)
4月10日(木曜日)、5月8日(木曜日)、6月12日(木曜日)
会場
町田市民文学館ことばらんど 1階文学サロン
観覧料
無料
プロフィール
川田 総七
1915年2月3日生まれ、南多摩郡町田町原町田(現・東京都町田市原町田)出身。
原町田にあった造り酒屋・川田酒造の長男として生まれる。1932年から「椎の木」(第3次)に「暦」「死の面貌」「天使の群」を発表し、翌年には第1詩集『希臘の海』を刊行。「L'ESPRIT NOUVEAU」(ボン書店版)、「詩学」「VOU(第一次)」「純粋詩」「文藝汎論」などに詩を発表した。1935年に扇谷義男とともに隔月の詩誌「祝火」を創刊。家業を営みながら詩作に励み、新たな現代詩が模索される時代に若手詩人の一人として活躍した。また、俳句も嗜み、岩佐東一郎が詩人仲間の俳句誌として創刊した「風流陣」にしばしば俳句や句会報告を寄稿した。1952年1月23日、結核のため37年の生涯を閉じた。