忠生地区から本町田地区の文化財

このページの情報をフェイスブックでシェアします

このページの情報をツイッターでシェアします

このページの情報をラインでシェアします

更新日:2024年1月29日

箭幹八幡宮随身門(市指定有形文化財)

18世紀前半につくられたと推定される、桁行三間(5.4メートル)、梁行二間(3.6メートル)の入母屋造りの門で、桁行中央の間を通りとして軒に唐破風を設け、両脇間に神像を安置しています。

所在

矢部町2666

案内

町田バスセンターより淵野辺駅北口行き(忠生高校前経由)バスで「矢部八幡前」下車、徒歩2分。または淵野辺駅北口より町田バスセンター行き(忠生高校経由)バスで「矢部八幡前」下車、徒歩2分。

木曽一里塚(市指定史跡)

江戸幕府は、17世紀初めに江戸日本橋を起点として五街道とその付属の街道(脇往還道)を整備しました。一里塚はその際に旅行者の目印として一里(約4キロメートル)の間隔で道の両側に築かれた塚で、木陰で休憩をとれるように榎などの木が植えられていました。
町田市内には江戸→府中宿(現府中市)→関戸村(現多摩市)を経て市内の小野路村、木曽村を通過し相模の座間村(現座間市)→厚木村(現厚木市)→矢倉沢関所(現南足柄市)を経て東海道大磯宿(現大磯町)へと通じる主要な脇往還(いわゆる大山道)がありました。小野路村、木曽村には宿駅が設けられたましたが、元和三年(1617年)に徳川家康の遺骸が駿河久能山から日光東照宮へ移されたときに両村で小休止したため、それ以降宿駅の義務を果たすようになったといわれています。木曽の一里塚も道の両側にありましたが、現在は西側のものだけが残っています。

所在

木曽西四丁目14-15付近

見学

無料、随時。

案内

町田バスセンターより小山田桜台行きバスで「木曽」下車、徒歩5分。「木曽」下車後、町田方面に戻り「伝重寺前」信号を右折し約150mで右手にある。

伝鎌倉井戸(鎌倉古道推定地)(市指定旧跡)

鎌倉井戸は、元弘3年(1333年)、新田義貞が鎌倉幕府を攻める途中で軍馬に水を与えた場所と言われています。この場所は、天和2年(1682年)に描かれた「野津田村絵図」において、鎌倉へ通じる道と記載されたルート上にあると考えられ、近世に鎌倉への道として認識された道の付近にあった古井戸が、いつしか新田義貞の事績と結びつき、中世を想起させる名称がついたと推定されます。

所在

山崎町1050-3付近

見学

無料、随時。
注記 破損した井戸枠を安全上の理由により撤去していましたが、井戸枠の復元は完了しました。

案内

小田急町田駅(POPビル前バス停)より本町田経由、鶴川駅行き、または野津田車庫行きバスで「今井谷戸」下車、徒歩10分。
「今井谷戸」より町田ダリア園を過ぎ、七国自然苑へと至る途中の左手にある。

井出の沢古戦場(都指定旧跡)

井出の沢(井手の沢)は鎌倉時代の歌謡、宴曲抄「善行寺修行」に「かれいい食うべしいにしへも、かかりし井手の沢べかとよ、小山田の里に来にけらし」と詠まれており、弁当の干飯(米を蒸し乾燥させた保存、携帯用の食糧)を食べるのに必要なきれいな湧水があることで有名でした。
井出の沢は鎌倉街道の要地と推定され、建武2年(1335年)の中先代の乱のときに、信濃から鎌倉を目指して進んできた北条時行の軍を、足利尊氏の弟、直義がこの地で迎撃し、激しく戦ったといわれています。古戦場は現在の菅原神社付近とされ、境内に石碑、説明板が設置されています。

所在

本町田802

案内

町田バスセンターより鶴川駅行き、藤の台行き、本町田団地行きバスで「菅原神社前」下車、徒歩1分。

木曽中学校遺跡

木曽中学校建設に先立って1981年から1982年に発掘調査が行われ、縄文時代中期の竪穴住居跡3軒と平安時代の竪穴住居跡5軒、掘立柱建物跡4軒などが発見されました。特に縄文時代の住居跡から発見されたクルミ形土器はクルミの断面を想像させる形状をしており全国的にも貴重なものとして、2015年に市指定有形文化財に指定されました。このクルミ形土器は町田市立自由民権資料館でご覧いただけます。
自由民権資料館/町田市ホームページ (city.machida.tokyo.jp)

所在

木曽西二丁目4-9

見学

中学校正門外付近に説明板あり。

案内

町田バスセンターより木曽南団地、野津田車庫、淵野辺駅北口、下山崎行きバスで「木曽南団地」下車、徒歩8分。または古淵駅より淵野辺駅北口行きバスで「ニュー相模団地」下車、徒歩5分。

忠生遺跡B地区

根岸日向公園・縄文時代住居跡

忠生遺跡B地区は忠生遺跡群の一つで、区画整理事業に伴って発掘調査が行われ、旧石器、縄文時代中期の集落跡と古墳、室町時代の集合墓地が発見されました。中心は1990年から1991年に調査された縄文時代中期の集落跡で、48軒の竪穴住居跡が外径100メートルの環状に分布して発見されています。現在は33号住居跡が「根岸日向公園」内に保存されており、遺構表示を見学することができます。

所在

根岸町1006-5

見学

随時、無料。

案内

町田バスセンターより淵野辺駅北口行きバスで「日向根トンネル」下車、徒歩2分。

根岸山横穴墓群

1993年、忠生区画整理事業のトンネル工事中に発見されました。7世紀につくられた横穴墓群で23基が確認され、このうち14基の調査が完了しています。約170メートルの範囲に3つの群に分かれて分布しており、境川中流域では最大の規模のものです。遺構の大半が消滅しており現在見学することはできません。

所在

根岸町1006-5付近

見学

日向根トンネル入口付近に説明板あり。

案内

町田バスセンターより淵野辺駅北口行きバスで「日向根トンネル」下車、徒歩2分。

このページの担当課へのお問い合わせ
生涯学習部生涯学習総務課

電話:042-724-2554

ファックス:050-3161-9866

WEBでのお問い合わせ