田河水泡

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更新日:2021年5月17日

田河たがわ 水泡すいほう/1899年-1989年/漫画家

1899年2月10日生まれ、東京府東京市本所区林町(現・東京都墨田区)出身。
本名・高見澤仲太郎。1歳で母と死別し伯母夫婦に育てられ、南画をたしなんだ伯父の影響で絵に関心を持つ。小学校を終え奉公に出るが20歳で入営。2年間の軍隊生活の後、日本美術学校に入学。在学中、村山知義らの前衛美術団体「マヴォ」に参加。卒業後、新作落語作家などを経て漫画家となる。1931年、「少年倶楽部」に「のらくろ二等卒」を発表。身よりのない野良犬の“のらくろ”が、猛犬連隊に入営し、失敗を繰り返しながらも機知とユーモアで様々な困難を乗り越えていくストーリーに、子どもだけでなく大人までもが夢中になり一世を風靡した。「のらくろ」シリーズは、1941年に情報局から執筆禁止令を受けるまで11年にわたり連載。1969年には『復刻版 のらくろ漫画全集』全10巻が出版され第2次のらくろブームが到来し、幅広い世代に親しまれた。同年、現代漫画興隆の功により紫綬褒章を受章。1989年12月12日、心不全のため90年の生涯を閉じた。

主な作品

主な作品の画像

  1. 『蛸の八ちゃん』(1948、みどり社)
  2. 『のらくろ上等兵』(1969、講談社)注:復刻版、初版は1932
  3. 『凸凹黒兵衛』(1969、講談社)注:復刻版、初版は1934
  4. 『田河水泡新作落語集』(1976、講談社)
  5. 『滑稽の研究』(1987、講談社)

資料写真

居住期間

1969年から亡くなるまでの20年間玉川学園に暮らし、その間にエッチングの制作や“滑稽”の研究にも打ち込んだ。

町田との関わり

完成しなかった自叙伝を妻・高見澤潤子が書き継いで刊行した『のらくろ一代記』に、玉川学園での暮らしが以下のように描写されている。

田河は玉川学園に来てやっとちゃんとした温室をもつことができ、大喜びであった。長い間、切望していた洋蘭を、栽培することができるようになったからである。庭も広くとれたので花や畑も十分に育てることができた。(中略)

昭和四十四(一九六九)年に私たちは玉川学園の新築の家に越して来たのだが、この年は田河にとって忘れられぬよい年であった。最良の年であった。新築と、紫綬褒章受章と、『復刻版のらくろ漫画全集』十巻の出版の年であったからである。

――――――――田河水泡/高見澤潤子『のらくろ一代記――田河水泡自叙伝』より

当館との関わり

  • 展覧会
  • まちだ作家博覧会展
    会期:2009年4月25日から7月5日
  • 滑稽とペーソス―田河水泡“のらくろ”一代記展
    会期:2013年1月19日から3月24日
  • 刊行物
  • 図録『滑稽とペーソス-田河水泡“のらくろ”一代記展』
    (2013年87ページ、有料販売)

注記:掲載している情報につきましては極力調査いたしましたが、お気づきの点がございましたらご連絡ください。

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町田市民文学館ことばらんど

電話:042-739-3420

ファックス:042-739-3421

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