更新日:2018年8月1日
常設展示室前のレリーフ
常設展示室入口の壁面にある陶板のレリーフで、さまざまな人々が参加した自由民権運動をイメージしてします。
【展示解説についてのお知らせ】
あらかじめご予約いただければ、学芸員が展示解説いたします。
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武相地域(旧神奈川県)の概略図
2007年に刊行した『武相自由民権史料集』の成果を反映しつつ、“従来よりもさらに理解しやすく、見やすいものに”というコンセプトで、常設展示を2016年10月8日にリニューアルしました。
展示のタイトルは「武相の民権/町田の民権」で、武相地域(多摩を含めた当時の神奈川県域)を視野に入れた自由民権運動の展示にしています。
常設展示室1
幕末から文明開化期の急激な変化は、政治だけでなく、経済や文化、生活習慣にいたるまで、地域社会にさまざまな動揺と混乱をもたらしました。幕末から村役人など村の要職を担った豪農たちは、欧米からの文物にも関心を持ち、それを採り入れつつ、地域秩序の回復・再建に尽力します。その選択肢の一つとして、天賦人権論(人には生まれながらにして自由・平等の権利があるという考え)に基づく自由民権運動がありました。
自由民権運動は、国会や憲法をつくり、参政権を国民に与えるよう政府へ要求した運動でした。運動の背景には、幕末の激動をくぐり抜け、秩序再建に奔走した地域リーダーたちの政治的成長があったといえます。それが、明治10年代の義務ばかりが先行し、権利が十分に与えられていない時代に、納税・徴兵などの義務に見合う政治的な権利を要求したい、という地域リーダーたちの政治欲求へとつながったのです。多くの地域リーダーがこの運動に参加するようになり、彼らは民権家と呼ばれるようになります。
現在の町田市域をはじめとする多摩地区は、自由民権運動が盛んだった時期、神奈川県に属していました。神奈川県は、武蔵国6郡と相模国9郡から成り立っていたために、「武相」とも呼ばれました。武蔵と相模に分かれて活動していた運動を、一つにまとめようとしたのが町田市域の民権家で、1881(明治14)年に原町田では武相懇親会を開き、その後も武相の自由民権運動をリードしていきます。
本展では、町田市域の民権家たちの動向を中心に、武相地域(旧神奈川県域)の自由民権運動の経過と、運動が地域社会にもたらした影響をご紹介します。
常設展示室2
常設展示室3
常設展(廊下)
「自由民権運動って何だ?」の声にこたえるパネル3枚を廊下に用意しました。
学校で習うのとは一味ちがう角度から、自由民権運動とは何かを知ることができます。
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