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町田ゆかりの文学者−開館記念展(2006年10月27日から2007年3月4日開催)を中心に−

江戸時代の文人たち

五十嵐 浜藻(いがらし・はまも)
1772(安永元)年〜1848(嘉永元)年
 俳人。武蔵国多摩郡大谷村(現・町田市南大谷)生まれ。祖父祇室(ぎしつ)や父梅夫(ばいふ)の影響で俳諧をはじめ、「江戸の浜藻、加賀の千代」と称されるほどの女流俳人となった。幼少より小林一茶や夏目成美(せいび)らと親交があり、一茶には「乙鳥よ紅粉が足らずば梅の花」や「門口や先づ愛嬌のこぼれ梅」など浜藻を詠んだ句が見られる。著作には4年をかけて父梅夫と共に西国を周遊した際の女性だけの連句集『八重山吹』(文化7年頃刊)がある。

小山田 与清(おやまだ・ともきよ)
1783(天明3)年〜1847(弘化4)年
 国学者。武蔵国多摩郡上小山田村(現・町田市上小山田町)生まれ。19歳の頃江戸に出て国学者村田春海に入門。その後、見沼通船方を務めた豪商・高田家の養子となり、家業の傍ら国学者としても活躍した。天保3(1832)年には、水戸藩徳川斉昭に招かれ、『八洲文藻』の編纂に参加し、蔵書二万数千冊を献納した。著作には小山田の考証が記された『松屋棟梁集』(文化13年刊)のほか日記、紀行文など300点余りがある。

ゆかりの詩歌人(うたびと)たち

八木重吉の肖像写真

八木 重吉

八木 重吉(やぎ・じゅうきち)
1898(明治31)年〜1927(昭和2)年
 詩人。南多摩郡堺村相原(現・町田市相原町)生まれ。高等師範学校時代に駒込基督会で洗礼を受け、のち内村鑑三の感化で、無教会主義の真摯なキリスト教信者となる。大正11年、島田とみと結婚。この頃より詩作に専念。同14年には、第一詩集『秋の瞳』を刊行した。これが縁で、「詩之家」や「日本詩人」などに作品を発表したが、昭和2年、29歳の若さで病死した。没後、生前自選の詩集『貧しき信徒』が加藤武雄の尽力により出版されている。

北村 透谷(きたむら・とうこく)
1868(明治元)年〜1894(明治27)年
 詩人・文芸評論家・思想家。本名、門太郎(もんたろう)。小田原生まれ。少年時代に自由民権運動の影響を受け政治家を志望する。やがて多摩地域の民権家と交流を深めるが、大阪事件を機に政治運動から離れ、文学に生きようと決意した。明治18年、町田の民権家石阪昌孝の長女ミナと出会い、恋愛に苦悩のすえ結婚。「厭世詩家と女性」では恋愛の精神的意味を高らかに宣言し、ともに「文学界」を創刊した島崎藤村をはじめ多くの文学者に衝撃を与えた。

乾直惠の肖像写真

乾 直惠

乾 直惠(いぬい・なおえ)
1901(明治34)年〜1958(昭和33)年
 詩人。高知県高知市生まれ。大学在学中から詩作をはじめ、山本和夫、沢木隆子らと同人誌「白山詩人」を創刊した。百田宗治の「椎の木」(第1次)に参加、のち室生犀星に師事し、「詩と詩論」などに詩を発表。昭和10年、同人制を廃止した「椎の木」(第3次)を離れ高祖保と共に月刊詩誌「苑」を創刊するなど精力的に活動した。詩集に『肋骨と蝶』などがある。昭和24年、都立町田高校に事務員として勤務。旧友、野田宇太郎を招いて文学散歩をおこなった。

川田総七の肖像写真

川田 総七

川田 総七(かわだ・そうしち)
1915(大正4)年〜1952(昭和27)年
 詩人。南多摩郡町田町原町田(現・町田市原町田)生まれ。昭和7年から「椎の木」(第3次)に詩作を発表。翌年18歳で第一詩集『希臘(ぎりしゃ)の海』を刊行した。その後「L’ESPRIT NOUVEAU」(ボン書店版)等に詩を発表。春山行夫の「詩と詩論」以降、新たな現代詩が模索される中、若手詩人の一人として活躍した。詩集に『若き蛇』『窓』などがある。町田では造り酒屋を営みながら五十嵐達孝、下村照路らと七頭会を結成、詩作に励んだ。

石川桂郎の肖像写真

石川 桂郎

石川 桂郎(いしかわ・けいろう)
1909(明治42)年〜1975(昭和50)年
 俳人・小説家・随筆家。本名、一雄。東京市三田生まれ。家業の理髪店を営みながら、昭和12年、石田波郷の「鶴」に参加、のち横光利一に師事する。戦後は、「俳句研究」などの編集長を歴任し、自らは俳誌「風土」を主宰、昭和50年にはその功績が評価され第9回蛇笏賞を受賞した。小説に『剃刀日記』、随筆集に『俳人風狂列伝』などがある。都内で焼け出され、昭和21年鶴川村能ヶ谷(現・町田市能ヶ谷町)に居住。随筆集『残照』には村人との交流が描かれている。

五十嵐千彦撮影の野田宇太郎

野田宇太郎(五十嵐千彦撮影)

野田 宇太郎(のだ・うたろう) 
1909(明治42)年〜1984(昭和59)年
 詩人・評論家。福岡県立石村生まれ。久留米市職員時代から詩作を続け、第一詩集『北の部屋』を刊行。その後上京し、小山書店などで編集者として活躍。戦時下唯一の文芸誌「文藝」の創刊にも携わった。戦後は雑誌編集の傍ら文学散歩という新たな表現形式を生み出す一方、耽美派文学の研究にも力を注いだ。昭和48年町田市図師町に転居。「町田ペンの会」の創設に参加し、初代会長に就任するなど町田の地域文化発展に尽力した。

宮川哲夫の肖像写真

宮川 哲夫

宮川 哲夫(みやかわ・てつお)
1922(大正11)年〜1974(昭和49)年 
 作詞家。東京府大島生まれ。師範学校在学中から、「若草」などに詩を投稿。卒業後は教師となり詩作を続けた。昭和28年「街のサンドイッチマン」がヒットし、ビクター専属作詞家となった。代表作には「ガード下の靴みがき」「美しい十代」「霧氷」などがある。昭和25年、忠生小学校(現・忠生第一小学校)に転任、忠生村木曽(現・町田市木曽町)に住まい、8年間を過ごした。ヒット曲「公園の手品師」は木曽町の福昌寺の大銀杏がモデルである。

北原白秋の門人たち

薮田義雄の肖像写真

薮田 義雄

薮田 義雄(やぶた・よしお)
1902(明治35)年〜1984(昭和59)年
 詩人。神奈川県小田原市生まれ。小田原中学校在学中に、国語教師小林好日の引き合わせにより、白秋を訪ねて門人となる。その後、白秋の秘書などを勤める傍らその影響下で詩作を続けた。著作には詩人としての地位を固めた第一詩集『白沙の驛』のほか『火の独楽』などがある。昭和44年、町田市山崎団地に転居。48年には玉川大学出版部より『評伝 北原白秋』を出版し高い評価を得た。

若林 牧春(わかばやし・ぼくしゅん)
1886(明治19)年〜1974(昭和49)年
 詩人・歌人。本名、岡部(旧姓・若林)軍治。南多摩郡町田村本町田(現・町田市本町田)生まれ。文学青年であった兄の影響で幼少より詩歌に親しみ、「文章世界」などに作品を投稿。その後、白秋編集の「朱欒(ザンボア)」に参加した。廃刊後は、同じ白秋門下の河野愼吾の『秦皮』創刊に協力、のち「多磨」が創刊されると同時に同短歌会に加わった。著作には歌集『冬鶯集』があり、また都立町田高校をはじめ町田市内の多くの学校の校歌を手がけている。

下村 照路(しもむら・てるじ)
1894(明治27)年〜1992(平成4)年
 歌人・郷土史研究家。茨城県奥野村生まれ。大学在学中に「創作」に作品を発表、若山牧水に師事した。卒業後は徳富蘇峰の国民新聞社に入社し、のち牧水門下の高門、和田山蘭の勧めにより北原白秋に師事し「多磨」に参加した。後年、町田でかがりび短歌会を結成。歌集に『からす貝』『紅花白花』などがある。昭和6年から町田に住み、町田市郷土研究会を結成、文化財専門委員を勤めるなど市の文化振興に貢献した。

多摩丘陵の自然に惹かれて

桜田常久の肖像写真

桜田 常久

桜田 常久(さくらだ・つねひさ)
1897(明治30)年〜1980(昭和55)年
 小説家。大阪府大阪市生まれ。大学在学中から同人雑誌に関わり、小説や戯曲を発表。卒業後大学で教鞭をとり、ドイツ戯曲の翻訳にも力を注いだ。昭和15年、「平賀源内」で第12回芥川賞を受賞、伝記小説で評価を得た。昭和7年から半農生活を志し町田町本町田(現・町田市本町田)に居住。書斎を「萬木草堂」と称した。戦後は日本民主主義文学同盟に参加、農民運動にも力を尽くし、町田町議会議員や農地委員会委員長などを務めた。

和田 傳(わだ・でん)
1900(明治33)年〜1985(昭和60)年
 小説家。神奈川県南毛利村生まれ。大正12年、「山の奥へ」を「早稲田文学」に発表。その後、本間久雄と同誌の編集に携わるとともに執筆生活を始めた。昭和13年、『沃土』で第1回新潮社文芸賞を受賞。以来一貫して農民の生活を書き続けた。主著に『鰯雲』『門と倉』がある。昭和3年から4年間を町田で過ごし、五十嵐孝三らにより新設された町田高等女学校(現・都立町田高校)で教鞭をとった。

白洲 正子(しらす・まさこ)
1910(明治43)年〜1998(平成10)年
 随筆家。東京市永田町生まれ。幼少より梅若流の能に親しみ、14歳で女性として初めて能の舞台に立った。アメリカ留学から帰国後、実業家の白洲次郎と結婚。志賀直哉、小林秀雄、青山二郎らとの交友を深める一方、古典文学や骨董に対する知識を養う。昭和18年、鶴川村能ヶ谷(現・町田市能ヶ谷町)に転居して「武相荘」と名付け、多くの紀行・随筆を執筆した。戦災後2年に亘り間借りした河上徹太郎をはじめ多くの著名人が来訪した。

遠藤周作の肖像写真

遠藤 周作

遠藤 周作(えんどう・しゅうさく)
1923(大正12)年〜1996(平成8)年
 小説家。東京府西巣鴨町生まれ。昭和8年、両親の離婚により大連から帰国し、洗礼を受けた。その後、大学予科在学中に読んだ佐藤朔の『フランス文学素描』に影響を受け仏文科に進学し、戦後初の留学生として渡仏。昭和30年、「白い人」で第33回芥川賞を受賞。その後も、日本人としてのキリスト教受容の問題を主題に作品を書き続けた。主著に『海と毒薬』『沈黙』『深い河』がある。昭和38年町田市本町田(現・町田市玉川学園)に転居し、そこを「狐狸庵(こりあん)」と称して軽妙なエッセイを含む作品を次々と執筆した。

住宅都市への変貌と作家たち

八木義徳の肖像写真

八木 義徳

八木 義徳(やぎ・よしのり)
1911(明治44)年〜1999(平成11)年
 小説家。北海道室蘭市生まれ。大学在学中に多田裕計らと同人誌「黙示」を発行。「海豹」を「早稲田文学」に発表した。昭和19年、「劉廣福」により第19回芥川賞を受賞。復員後、戦災による妻子の死によって執筆した『母子鎮魂』、『私のソーニャ』で作家としての地位を築いた。著作には『摩周湖』『風祭』『海明け』などがある。昭和44年より町田市山崎団地に居住。「青芝友の会」や「町田ペンの会」などに積極的に参加した。

半田 義之(はんだ・よしゆき)
1911(明治44)年〜1970(昭和45)年
 小説家。神奈川県横浜市生まれ。前橋中学時代、ガリ版刷りの同人誌「無限」を発行。昭和2年、国鉄入社と同時に本格的に創作を始める。プロレタリア文学全盛の中、労働者としての実生活をテーマに作品を執筆した。昭和14年、「文芸首都」に掲載した「鶏騒動」で第9回芥川賞を受賞。戦後は日本民主主義文学同盟の一員となり、「赤旗」などに作品を連載した。町田市には昭和43年の山崎団地建設と同時に入居。日本民主主義文学同盟町田支部会にも参加した。

峰隆一郎の肖像写真

峰 隆一郎

峰 隆一郎(みね・りゅういちろう)
1931(昭和6)年〜2000(平成12)年
 小説家。本名、峰松隆。長崎県佐世保市生まれ。出版社に勤務した後、フリーライターとして20数年間を過ごす。昭和54年、短編時代小説「流れ灌頂」が「問題小説」第5回小説新人賞したのを機に作家活動に入った。迫力のある娯楽時代小説を得意とし、鬼気迫る剣術描写や官能シーンにより独自の世界を築いた。著作には小田丸弥介の活躍する「人斬り弥介」シリーズなどがある。町田には昭和39年に転居し、全ての作品は町田で執筆された。

木本 正次(きもと・しょうじ)
1912(大正元)年〜1995(平成7)年
 ジャーナリスト・小説家。徳島県牟岐町生まれ。昭和10年、大阪毎日新聞社に入社し、報道部長、編集委員などを歴任した。在職中から執筆活動をおこない、昭和35年には「刀塚」が第43回直木賞候補となった。著作には石原裕次郎、三船敏郎の共演により映画化された『黒部の太陽』をはじめ『香港の水』『砂からの門』などがある。綿密な取材に基づいて執筆された作品は各界から高い評価を得た。昭和43年から終生を町田市本町田で過ごした。

福本 和也(ふくもと・かずや)
1928(昭和3)年〜1997(平成9)年
 小説家。本名、一弥。大阪府大阪市生まれ。戦後大学を転々としたのち新聞社に入社。昭和33年「文芸日本」に発表した「K7高地」「泥炭地層」が相次いで直木賞候補となる。漫画『ちかいの魔球』が大ヒットし、多方面にわたり才能を発揮する。パイロットとしての経験をいかした航空ミステリーは、他の追随を許さなかった。町田には昭和52年頃に転居。執筆活動の傍ら休日には調布飛行場に出向き操縦桿を握った。

日影丈吉の肖像写真

日影 丈吉

日影 丈吉(ひかげ・じょうきち)
1908(明治41)年〜1991(平成3)年
 小説家。本名、片岡十一。東京市木場町生まれ。昭和5年、アテネ・フランセで知り合った坂口安吾らと同人誌「言葉」を創刊。卒業後は語学力を生かし「料理文化アカデミー・仏語部」を開講、原書による調理師の指導にあたった。戦後、「かむなぎうた」が「宝石」の懸賞小説短編部門に入賞、推理小説の分野で多くの作品を残した。町田には昭和48年に転居し、精力的に執筆活動を続け、平成2年には『泥汽車』で第18回泉鏡花文学賞を受賞した。

青柳寺に集う

五十嵐千彦撮影の八幡城太郎

八幡 城太郎(五十嵐千彦撮影)

八幡 城太郎(やはた・じょうたろう)
1912(明治45)年〜1985(昭和60)年
 俳人。日蓮宗方運山青柳寺住職。神奈川県相模原市生まれ。本名、神部宣要。早大卒業を目前に左翼活動で大学を追われ、横浜で彷徨生活をする。昭和18年兄の死により青柳寺住職を継いだ。昭和10年頃から俳句を始め、嶋田青峰、義沢すくね、日野草城に学ぶ。昭和28年に「青芝」を創刊した。句集に『相模野抄』『念珠の手』などがある。町田では野田宇太郎と共に「町田ペンの会」創設に尽力。地域の文学者たちのまとめ役を担った。

関連情報

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問い合わせ先

部課名 町田市民文学館(生涯学習部図書館)

連絡先 電話 042-739-3420、FAX 042-739-3421

この情報は 生涯学習部 図書館 が発信しています。

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